ハワイ旅行より

ハワイの歴史

多くの人々が憧れる南の島の楽園だが
どのような歴史があるのか知らない人も多い。
古代時代にカメハメハ大王の時代 そして近代
簡単にハワイの歴史についてまとめてみました。




夕暮れのワイキキ













トップ
ハワイ旅行の情報


格安フリープランや格安個人旅行方法なども紹介
格安ハワイ旅行方法




ハワイは独立した国であった
1959年にアメリカの50番目の州である。
多くの人は知っているとおり現在はハワイ州でありアメリカ領土の一部であった。
しかし、かつてハワイは独立した国家であったのだ。
1898年にアメリカ合衆国となり1959年に50番目の州となるのだ。


ハワイの歴史を簡単にまとめました
ハワイの歴史は大きく分けて古代時代
1700年代後半からのハワイ王朝時代
1898年からのアメリカ時代に分けることができる。


古代ハワイ時代
最初に住み着いたのはポリネシア系である。
まずハワイとは火山島であり海底からのマグマが固まり
形成された島といわれている。なので陸続きになったことはなく
長きにわたり無人島であったという。最初に人が住み始めたのがポリネシア系であり
カヌーのようなもので渡ってきたのではないかという説がある。
科学的や調査や考古学から紀元前500年位前と推測されているが定かではない。


ハワイは火山島であることを実感させるキラウエア火山
(ハワイ島にて)


タヒチから人々が渡る

また、紀元1000年頃(これもかなりおおざっぱ)にタヒチの人が渡り
このあたりから部族どうし勢力争いが発生したといわれている。
また、王族や平民 奴隷などが存在した階層社会もあったという。
ちなみに古代ハワイ時代の人々は文字を持たず はっきりとした歴史書などはない。
フラや口頭による伝承によって伝えられており、フラもこのあたりから誕生したのでは
ないかという説がある。また、ハワイでは「マナ」という言葉を聞くことがある。
いわゆる「神の力」とか「神の精神」というべきだろうか 王族である酋長は
神とのつながりがあり「マナ」が宿るとされていた。例えば、マウイ島のイアオ渓谷は
歴代酋長が眠る場所でありマナが宿る「パワースポット」として紹介されることもある。
古代ハワイの生活
原始的な生活でタロイモを栽培、漁業などをしていた、また 豚肉は大変なご馳走であったとか
自然を神とする土着信仰であり、フラというのは神聖なもので選ばれし男性のみが祭壇で踊ること
が許されたという。フラも単なる踊りではなく伝承的な役割もあったとか。
部族争いはあったものの武器は原始的で投石や木などを使って争ったという。


歴代の首長が眠るといわれているイアオ渓谷
(マウイ島にて)




ハワイ王朝時代
ジェームスクック(キャプテンクック)のハワイ上陸
ヨーロッパ人ではじめてハワイに上陸したのが1778年 サンドイッチ島と名づける。
ジェームス・クック(キャプテン・クック)といわれている。
大きな船に驚き最初は神のように崇められ ハワイ出航後 嵐にあって船は破損 戻ったところ
嵐にあって戻ってくるのは神ではない と抗争 数人の船員と殺害されてしまった。
カメハメハ大王のハワイ統一
しかし、その後も交易をもとめ多くの船が来航
そして そのもとめに応じたのがカメハメハ大王であったといえよう。
カメハメハ大王は大砲や鉄砲などの武器を使い
1795年はじめてハワイを統一 ハワイ王朝時代がはじまるのであった。
オアフ島のパリ展望台など  かつての古戦場もある。
日本では江戸時代の終わりにさしかかる頃だ


ハワイの歴史の大きな影響を与えた「カメハメハ大王」
(オアフ島 ダウンタウンにて)


急速に近代化がすすむ

ハワイを統一 首都はマウイ島のラハイナに置かれる。(1845年にホノルルに移す。)
貨幣経済などが導入され急速に近代化がすすみ、1810年には宣教師が渡り
キリスト教の布教活動がはじまる。しかし キリスト教の教えに反する
土着信仰やフラなどが禁止され古代ハワイの文化も失われていくのであった。
捕鯨基地
ちなみに、ハワイ周辺には多くのクジラが現れることから捕鯨基地として栄える。
当時 クジラから機械産業に欠かせない油をとっており1880年あたりまで栄えた。
マウイ島のラハイナタウンを歩くと当時の面影を残しているのだ。


かつての首都であり、捕鯨基地として栄えたラハイナタウン
(マウイ島にて)


プランテーション

最初のハワイ最大の産業といえば 1800年代中頃からはじまった「さとうきび産業」であろう。
白人がハワイにて広大な土地を手にすることができた。
(古代ハワイには土地の所有という概念がなかったという。)
南北戦争の影響で南部から「さとうきび」が入らなくなり、ハワイの「さとうきび」需要が高まる。
さらに、プランテーションなど大量の労働力が必要であることから移民の受け入れがはじまる。
最初は中国人の移民、明治になってから日本人の移民も渡る。
明治時代には何万人もの日系移民が渡るのだ。
ハワイ島にある町「ヒロ」は日系人によって築かれた街ともいわれ
「ロコモコ」や「シェイブアイス」など日系人により伝わった文化もある。
なお、さとうきびに続きパイナップルプランテーションも栄えることになる。


さとうきび列車 「さとうきび」の輸送に使われた機関車を再現
(マウイ島にて)




アメリカ時代
フラの復活
カメハメハ大王によるハワイ王国の建国(1795年)その後 フラの禁止など
ハワイの文化を失ってきたが、1874年にカラカウア王が即位するとフラの復活
文化の復興に力を入れる。しかし、そのときは土地の多くは外国人所有となっていた。
王朝の崩壊
また、1875年 アメリカとハワイの間に締結した通商互恵条約では アメリカとハワイは
無関税で貿易ができるようになったり、土地の占有権を与えたりとアメリカ依存度が高くなっていく
その後も真珠湾の独占使用権を得て軍事拠点としての要素も強まる。
そして1898年 ハワイ王朝は崩壊しアメリカの領土となるのだ。
ちなみに、1881年日本にカラカウア王が来日 明治天皇と会見
皇族との婚姻関係同盟を結び日本と関係を強化しようとした。
西洋列国の勢力から逃れようとするためであったが、日本はアメリカとの
関係悪化を危惧して断った。


王朝時代の栄華を誇る宮殿「イオラニパレス」
(オアフ島 ダウンタウン)


真珠湾

また、ハワイは軍事的にも重要な拠点である。
有名なのが1941年12月7日 日本軍は真珠湾を攻撃 太平洋戦争がはじまる。
日系人の不信感の高まりで危険性の高い人物は強制収容所に収容されるのだ。
その中でも虐げられまいと日系人の陸軍部隊を結成してヨーロッパ戦線などで戦う。
その後 日系人の地位向上につながる。


アリゾナメモリアル
(オアフ島 パールハーバー)


観光産業の発展

1900年代に入るとアメリカ本国からのハワイ航路 空路が就航し
リゾート地としての色合いが強くなる。
ただ、現在のハワイ文化は観光客のために作られたといった感が強く。
例えば「フラ」 
美しい女性が華やかに踊る姿を想像するが、古代ハワイ時代では
選ばれし男性が祭壇の上で踊ること神聖なものであり伝承的な役割があった。
他にも
白い砂浜で有名なワイキキビーチ
もともとは水はけのいいタロイモ畑 そこを排水して 他(ハワイ以外)から
から運ばれてきたのだ。ワイキキの地図を開くと内陸側にアラワイ運河があるが
湿地帯であったワイキキを乾燥させるために1928年に造られた。
ちなみに
かつて盛んであった農業現在はハワイの全収入の1%程度
とほんのわずかにすぎないのだ。


航路時代 ホノルル港のシンボル的存在 「アロハ タワー」
(オアフ島 ダウンタウン)


戦後

1959年にはハワイはアメリカ準州から50番目の州になる。
戦後の高度成長期により日本人旅行者が増加
日系企業も進出し ハワイの主要産業である観光に日本人旅行者の依存度が高くなるのだ。
その中でも1970年代に入ると民族意識の向上により
本来のハワイ文化を取り戻そうという運動もはじまっている。
本来の古典フラ(フラ カヒコ)を見られることがある。


観光都市として発展するハワイ
(オアフ島 ダイヤモンドヘッドからワイキキを眺める。)











トップ
ハワイ旅行の情報


(注意)
2010年12月の旅行経験に基づき2012年に作成しました。
主観的な部分もあり実際と異なることや、状況が変化していることもあります。
参考程度に自己責任のもとで調査してください。