京都旅行より

1.京の都(平安京)誕生に至るまで

794年に平安京が遷都、1000年の都が誕生するのだが
すんなりと京の都が誕生したわけではないのだ。
それまで、都が点々としていたのだ。



かつての都 奈良を望む











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平安京が誕生するまでに都の場所は点々としていた。
飛鳥時代や奈良時代と平安時代以前にも都が存在していることは多くの人が知っているであろう。
しかし、長くは続かず 都は点々としたのだ。例えば667年 今の滋賀県大津市に近江大津京が誕生
その後、672年には今の奈良県明日香村に飛鳥京が誕生 その後も藤原京に難波京 恭仁京
長岡京と794年に平安京が誕生するまでに何度も都が移されているのだ。
中には数年で移ることもあったのだ。
その理由は諸説があるようだが
よく聞かれるのが勢力争いといった「政治の乱れ」や「怨霊や疫病」などといったものだ。



飛鳥時代の都 明日香村


政治の乱れ

飛鳥時代 聖徳太子は仏教を広め、仏教を中心に国を治めたと言われている。
そして奈良時代には仏教の影響が強く 都の内部に多くの寺院が建立された。
しかし、絶大な権力を手にした僧侶が政治に口出しをするようになったことが都を変える理由ともなった。
他にも 役人の不正により政治が乱れなど いろんな理由があるようだ。
ちなみに、平安京遷都のとき多くの寺院は平城京(奈良)に残しており、
東寺や西寺など一部 国が認めた寺院(官寺)以外は都の中に寺院を建立することを禁止している。
実際 奈良を歩くと街中の有名な寺院を見ることがあるが、京都の場合 主な寺院は
山間に建立されている。


法隆寺
(かつて仏教を中心に国を治めていたと言われている。)


怨霊の影響

桓武天皇は当初 現在の京都府長岡市に都をおこうとした。しかし、都の建設中に都建設の責任者である
藤原種継が暗殺される事件が発生 その犯人の一人に実の弟 早良親王も犯人とされ、幽閉され流罪となる。
早良親王は無罪を訴えながら 絶食 流罪の途中に亡くなる。その後 飢饉や疫病が発生 桓武天皇の身内にも
病気になるなど、不吉なことが続き、早良親王の怨霊といわれた。
その怨霊から免れるためにも長岡京は10年ですてて
平安京(京都)に都を移すこととなった。
鬼門と言われる方角に怨霊から守る寺院を建立するなど
平安京には結界(けっかい)により 怨霊が入らないような工夫がされているのだ。


長岡京駅前


かつての長岡京を想わす碑


天皇の血筋の関係もあったと言われている。

平安時代よりも昔の672年に天智天皇の後継者を巡り 壬申の乱(じんしんのらん)が勃発
その戦に勝利した大海人皇子は天武天皇として即位した。その後 天武天皇系の時代が
続いた。しかし、系統が断絶し再び天智天皇の系統になることを示すために
都を遷都したとも言われている。

















2.何故この地に都ができたのかへ進む


こうして京の都が誕生したに戻る




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(注意)
2012年6月までの旅行経験から2014年11月に作成しました。
状況が変化している場合や実際と異なる事も考えられるので
参考程度に自己責任のもとで調査してください。